備中高松城
(びっちゅうたかまつじょう)
・目次
|▶アクセス・行き方
|▶備中高松城址公園
|▶蛙が花築堤跡
|▶温泉宿・ホテル 予約
|▶Information
・城 (址) ・公園 |
撮影時期 【⛄冬】H31.1.4 |
🔗外部リンク
岡山観光ネット▶https://okayama-kanko.net/sightseeing/index.php
岡山観光Web▶https://www.okayama-kanko.jp/
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行き方・場所・アクセス▼
岡山県 岡山市 北区
備中高松城は岡山市の西端付近、北区の高松に位置します📍
ある程度歴史に詳しい人ならご存知の事でしょうが、水攻めと切腹で有名な城です🏯
実際の名は高松城で、香川の高松城と区別するため備中高松城の愛称で呼ばれています🌳
中国地方の主要道の一つである国道180号線、備中高松駅の北側の道に入り案内に従い進みますが、やや分かりにくい部分もあるので地図をしっかり確認しながら進みましょう🚘
高速道路は岡山自動車道 岡山総社I.Cで国道180号線に降ります🛣
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公共交通機関はJR吉備線の備中高松駅から徒歩10~15分程になります🚈
▶JR吉備線 時刻表
・・・岡山駅~総社駅
・・・(備中高松駅下車)
備中高松城址公園▼
備中高松城址公園 北側駐車場🅿▼
備中高松城の有ったこの地はもともと低湿地帯であったことから、それが天然の堀となっており石垣はなかったそうです📚
石垣が無く湿地の沼が復元されたことから、城の建物などの痕跡らしきものはほとんど見当たらず、現在は公園となっています🏞
傍らには清水宗治氏の首塚や辞世の句の碑などがあります👀
備中高松城の築城時期はハッキリとはしておらず、築城主であった石川氏が1575年に毛利氏に敗れた後に清水宗治氏が城主となったと考えられています🏯
そして1582年に織田軍の中国攻めの先鋒となった秀吉公と戦うことになります🔥
その際に秀吉公が取った作戦が水攻めです🌊
時期が時期なだけに殺風景ではありますが、季節によっては蓮の咲く美しい光景になります🌼
昭和57年に沼を復元した際に自然に生えてきたそうで、この地に因んで宗治蓮と呼ばれています(=゚ω゚)ノ
この水攻めの途中で本能寺の変が起き、秀吉公は信長公の死を伏したまま毛利方に和睦を申し入れます(‘Д’)
その条件が備中高松城城主の清水宗治氏の切腹で、それにより領地や城兵は守られることになります📖
毛利方も織田軍に力押しするほどの戦力は残ってなかったようで、やむなく聞き入れたそうです(ノД`)・゜・。
己が命で家臣や主を守った清水宗治氏、そして共に切腹した兄弟と援将(‘Д’)
秀吉公は武士の鑑であると賞賛したそうです📕
どこで聞いたか忘れてしまいましたが、この一件で切腹という行為が武士にとって名誉ある死となったという説がありました👀
水攻めは備中高松城の横を流れていた足守川を堤防を築いて堰き止め、文字通り城を浸水させて兵糧を断つ作戦です(=゚ω゚)ノ
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付近には清水宗治氏の自刃の地や銅塚などがあります🐾
毛利方にとっては悲しい出来事であったことには違いなく、殺風景なこの日の感じはどこか哀愁が漂いこれはこれで悪くはない雰囲気です👀
むしろ不思議とどこか心地よさすら感じる、静かで落ち着いた空気感です🌳
蛙が鼻築堤跡▼
備中高松城の南東側、最上稲荷の大鳥居の付近に水攻めの際に築堤された堤防の一部があります🌊
にしても地理を活かした作戦とは言え、凄いことを思いつくものです(‘Д’)
途方もなさそうな作戦を実行するのも大胆ですね( ゚Д゚)
こう見ると今の備中高松駅の周辺も水没していますね🌊
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低湿地の沼による天然の堀を持つ要塞、水攻めにより敗れた史実、武士の鑑であると賞賛された切腹、数々の特殊な歴史を持つ備中高松城🏯
蓮の咲く美しい光景や周辺に何もない冬の殺風景は、人や歴史の儚さを物語るかのような悲しさにも似た静寂感と落ち着いた空気感を漂わせます🌳
通常の城巡りとは少し違う備中高松城址の雰囲気は、希少であると言えます🐾
ホテル・宿情報▼
※画像はリンク先からの引用です。時期や提携状況によっては画像の宿がない場合もありますのでご了承ください。
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